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--年--日 スポンサー広告 こめんと- とらっくばっく-

『浮雲』20120917

 映画館を出た時は薄暗くなつてゐた。
 すつかり、露店もなくなり、四囲はいやに淋しくなつてゐた。廃墟の角々に外燈がついてゐるのが、いつそう敗戦のみじめさを思はせた。凍つたやうな冷い風が吹いた。二人は電車通りへ出た。まるで小舎のやうなバラックの商店が並んでゐたが、それも早々に店を閉してゐた。このごろは強盗おひはぎのたぐひが街に横行してゐたので、日の暮れには、どの商店も早い店じまひをしてゐる。
 ゆき子は二度ばかり来た事のある、角筈の電車通りに出来た、中華蕎麦の小さいバラックの店へ、伊庭を連れて行つた。夜になると、ゆき子は強い酒が飲みたかつた。荒れ果てた心のなかに、強い酒でもそそぎこまなければやりきれない気持ちだつた。竹の子蕎麦を注文して、二人は珍しくストーヴの燃えるそばへ腰を降した。ストーヴが勢よく燃えてゐるのを見るのは、何年ぶりだらうと、ゆき子は青く光つた錻力(*ブリキ)の煙突に、ちよいちよいと指先で触れてみた。
「ダンサアなンてのは賛成しないね」
 伊庭が煙草を吸ひながら言つた。ゆき子は、さつき手を握つてゐた伊庭の厚かましさがいやらしくて返事もしなかつた。伊庭はゆき子の派手な化粧をしてゐる顔を珍しさうに眺めながら、
「ずつと、お前の事は心配しづめだつた。うまく帰れるものなのかどうかも心配だつた。日本もいまは大変だ。みんな偉い人達はつかまつたし、世の中がひつくり返つたやうなものだ。昔、偉くかまへてゐた人間が、いまはみんな落ちぶれてね、小気味がいゝ位に世の中が変つた」
 しんみりと、伊庭はそんな事を言つた。
「あんまりのぼせかへつたのよ。もう、これから戦争がないだけでも清々していゝわ。でも、よく義兄さんは兵隊にとられなかつたわね?」
「うん、そればかり心配してゐたンだ。浜松の軍の工場に勤めたのも兵隊のがれだつたが、いまから思へば、夢のやうなものさ‥‥。浜松もやられて、それからずつと百姓をしてゐたが、よく兵隊にとられなかつたと、不思議な位だ。終戦になつて、一番、心配したのは、お前の事だつたが、かうして楽々と戻つて来やうなぞとは思はなかつたな‥‥」
 熱い蕎麦が来たので、二人は丼を抱へこんで食べた。珍しく赤く染めた竹の子がはいつてゐた。
「美味い‥‥」
「こゝ、とても美味いのよ。第三国人がやつてるのね。とても量が沢山あつて安いのよ」
2012年17日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-
  

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