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『ヴィマーニカ・シャーストラ』原本まえがき

すっかり放置気味のこのコンテンツだが、原本のまえがきを最終チェックしたのでここに公開。
近々、先に電子書籍として公開予定。アマゾンを待っていたのだが、来ないし・・・w
なお、第1章のときと同じく、コンテンツとして公開されたものがその時点での最新訳です。
(つまり、その時にはこの訳も修正が入っている可能性があります)

===
原本まえがき


 1952年8月25日、PTI通信[インドの通信社]のマイソール代表であるスリ・N・N・サストリが以下のレポートを送ってくれた。それはインドの代表的な日刊紙すべてに載ったものであり、ロイター通信や他の世界中のニュース通信社が取り上げたものである。

「マイソールにあるサンスクリット研究国際アカデミーの所長であるG・R・ジョスヤー氏は、先頃行われたインタビューの中で、とても古い草稿をいくつか見せてくれた。それらはアカデミーが収集してきたものである。氏の主張によると、それらは数千年以前のものであり、バラドワージャ師、ナラダ師ほかの古代のリシ[見者]たちによって編纂されたものである。それらはアートマンやブラフマンといった古代ヒンドゥー哲学の神秘思想を扱ったものではなく、より世俗的な事柄を扱っている。そうした世俗的な事柄が、平和の時代と戦争の時代のいずれにおいても、人間の生存と諸国家の進歩に重要な役割を果たしたのである。

「ジョスヤー氏の草稿には、草や野菜、そしてとりわけ飢饉の時期に食用となる葉など、様々な食材から食事を調えることについて詳細な記述がある。

「草稿のひとつは航空学を扱っている。一般市民が飛行したり戦争に使ったりするような、様々な種類の飛行機について、その製造方法が述べられている。氏が示してくれたものによると、この航空学の草稿には3種類の飛行機(ヴィマーナ)が書かれている。ルクマ飛行機、スンダラ飛行機、シャクナ飛行機である。[それぞれ順に、黄金の飛行機、美しい飛行機、鳥のような飛行機という意味。]500節にわたる記述により、非常に難解な形でこれらの詳細が述べられている。多種類ある飛行機について、様々な部品に合う金属をどう選択して製作すればよいか、とか、設計の詳細、寸法、デザイン、飛行機が運べる重さ、そして様々な飛行機が使われる目的、といったことが記されている。

「ジョスヤー氏はいくつかのデザインや絵を見せてくれた。ヘリコプターのような輸送飛行機で、特に発火物や弾薬を運ぶもの。400~500人もの乗客を運ぶためのもの。2階、3階建ての飛行機など。こうした種類の飛行機いずれもが、詳細に記述されているのである。

「飛行機の製造に使われる金属や他の材料について、どのように作成してどれを選択するかが詳細に扱われている箇所がある。それによると、飛行機は(飛行機用の金属として16種類の合金がある)“破壊されず、傷つけられず、燃えず、事故によっても壊れることがない”という。こうした飛行機を煙幕によって飛行中に見えなくするにはどうしたらよいか、といった詳細についても、バラドワージャ師のヴィマナサストラ[ヴィマーニカ・シャーストラー]には記されているのである。

「飛行機を製造するための説明や方法論はさらに続き、すべてが適切な注釈とともに詳細に述べられている。操縦士は敵機を発見するだけでなく、敵機で何が話されているかを聞くこともできる。レーダーに近い原理である。この本には8つの章があり、空中を飛んだり、水中を行ったり、水上に浮かぶ飛行機の作り方が記されている。

操縦士の訓練

「こうした飛行機に乗り組む操縦士について、その選抜と訓練の方法が数節にわたって記されている。これら古代の飛行機には、接近する敵機を撮影するために必要なカメラが備え付けられている。他方、別の幾節かでは、操縦士に与えられる食事や衣服が扱われている。それらの食事や衣服が、操縦士たちの能率を維持し、空中を飛行する状況に適応させるのである。

「ジョスヤー氏によると、彼はこれらの草稿を英語に正しく翻訳した上で出版しようとしている。

「別の草稿は、古代インドの建築を扱っている。全てにイラストがついており、建築を容易なものにしてくれる。この草稿はナラダ師によるもので、様々な種類の建物を作る際にどのように資材を選定するかが詳細に記されている。15階建ての建物についての記述もある。建物の部分を描いた絵もある。いくつかの章では、村や都市、町、要塞、宮殿や寺の構築をも扱っている。この草稿は図版や建築技術の詳細が満載で、技術者たちの参考となるものである。

「G・R・ジョスヤー氏にはさらに別の草稿もあり、そこには模造ダイアモンドと模造真珠の作り方が書かれている。また、注目すべき別の草稿には、身体障害者、若者、老人、衰弱した人たちにどのような食物を作ったらよいかが詳細に記されている。」[新聞記事引用終わり]

 この新聞記事が配信されてから数日の間、ちょっとした手紙の洪水が全インドから我々のもとに押し寄せた。最初に来た手紙のひとつに、デリーの『ライフ・インターナショナル』誌、ジェームス・ブルケからのものがあった。これらの草稿を見に来てよいかと問うものだ。我々の返答は『1000ドルを送り、それから来て下さい』であった。彼は返信してきて、デリーでは『ライフ・インターナショナル』に取り上げられたら名誉に感じることだろう、と書いてきた。しかし我々はそうは思わなかった。我々は返事を出さなかった。いまやジェームス・ブルケは死んだ。そして偉大な『ライフ・インターナショナル』もなくなった! これこそ人のはかなさ!

 トロントとニューヨークでジャーナリストとして活躍しているジーン・リオン女史がデリーから連絡してきて、我々を訪ねてくるという。彼女はマイソールに来て草稿を見、我々のインタビューを取った。その記録が彼女の本『Just Half a World Away』[世界を半周してみると、といった意味]の「スートラ(経典)による科学」という章にある。それによると、我々は過激な国家主義を信奉する罪人であり、ヴェーダ以来の全てを抹消しようとしていると断じている!

 ジャーナリストが人を判断することはできない。我々がただ主張したいのは、インド人にとっても、他の人々にとっても、ヴェーダを消し去るなんて馬鹿げているということだ! 我々は過激でも国家主義的でもない。神は地球を球のように作り給うた。そこに含まれるもの全てはまとまりある一団であり、国際連盟のように100に分裂したような諸団体ではないのである。地図上でのみ、地球は2つの半球に分けて示すことができる。もし実際に地球を2つの半球で分けたりすれば、それは世界の終末となろう!

 我々の主張は国家主義でも、過激でも穏健でもない。ただ、1つの世界ヒューマニズムないし世界市民主義である。これは別にジーン・リオン女史を驚かせるようなものではなかろう。

[新聞記事に]驚嘆して問い合わせをしてきた人々は他にもいる。ビハール州知事のR・R・ディワカル、カシ王国のマハラジャ、パトナで発行されている『サーチライト』誌のトリヴェーディ博士、ゴラクプールのドウィヴェーディ教授、セオニのチャウハン教授、マドラスのティーアニー教授、ムスーリーのスワミ・チャイタニヤ、パグワラのH・R・シャルマ、カルカッタのハリト・クリシュナ・デブ、アラハバードのR・B・ラル、ウータカマンのP・S・バラティ、バンガロールのマッキンタイヤ女史、マドラスの実業家M・V・シャルマ、プーナのD・V・ポトダル、ウッタル・プラデーシュ州ラムナガルのA・K・N・シン王、ラオ・バハドゥール修士、パトナのランガスワミー、バンガロールのN・アナンダルワル。

パトナの『サーチライト』誌に編集者S・M・シャルマはこう書いた。「著名なサンスクリット学者であり、マイソールのサンスクリット研究国際アカデミー所長、G・R・ジョスヤー氏。彼のおかげで、バラドワージャ師による飛行機の草稿が発見された。ジョスヤー氏はすでに70歳を超えている。ネール政府は一刻も早くこの草稿を入手すべきだ。これは私の願いであり祈りであるが、多くの人も賛同するであろう。この草稿は、私の知る限りでは、大変ユニークなものである。」編集者シャルマももういない!

 草稿は神の恩寵により我々にもたらされた! 1951年6月28日にマイソールのH・H・マハラジャ[その前年までマイソール藩王国の王として在位したジャヤチャマラヤ・ワディヤールのことか]をサンスクリット研究国際アカデミーの発会式に招いたが、明らかにそれは幸先の良い式典であった。アカデミーは国際的な名声を得て、世界中にその存在を知られるようになったのである!

 セレモニーに出席した客人のうち、バンガロールから来た人がいて、この人が練習帳のような形式の小さな草稿を持ってきた。そこにバラドワージャ師の“ヴィマニカ・サストラ”の最初の部分があった。我々はそれに驚いて、他に我々が持っていた草稿(劣化段階は様々だが)とともに展示した。H・H・マハラジャ、州知事K・C・レッディ[1902~1976]、そしてその他の人々に、我々は見せて回ったのである。

 式典の後、その草稿は当の客人に返却された。彼はそれを、スッバラヤ・シャストリ師による著述記録の管理人、すなわちヴェンカトラマ・サストリ氏(芸術学士、法学士)に返した。サストリ氏はバンガロール法曹界の弁護士である。その後、我々は彼にコンタクトを取り、草稿を出版するのに最善を尽くすと約束したため、彼は寛大にも草稿のいくつかについて写しを取らせてくれた。PTI通信に出た話はこれらの写しに関するものであった。それによって生じたファンレターは著名人からの問い合わせをもたらした。バンガロール西方司令部のゴイヤル空軍准将、プーナ[プネー]の『ケーサリ』紙と『マーラッタ』紙の編集者、タンジョール[現タンジャヴール]のサラスワティ・マハル[図書館?]の大ガーダー[不明]、バンガロールの大臣A・G・ラマチャンドラ・ラオ、バンダルケーリ・ムット[カルナタカ州ウドゥピの一区域か?]のスリ・スワミ、ボンベイのM・G・セト、デリーのP・D・パダム・チャンド、ボンベイのP・M・カバリ、インド航空協会、デリーの科学文化省、民間航空の総裁、ヒンドゥスタン航空株式会社。

 そして我々は原本をサンスクリット語で印刷することに着手した。いくらかの進展があったところで、突然、草稿の提供者であるヴェンカトラマ・サストリ氏から手厳しい手紙が届いた。我々が、自分たちの利益のために草稿を利用していると非難するものであった。そんな考えは全く我々にはなかったので、この手紙は非常に嫌なものであった。我々は彼に草稿をお返ししましょうと返事をし、印刷は途切れたのだ!

 しかし手紙は遠方からも引き続き届いた。草稿に大きな興味を抱いた著名人や、知識人の協会などといった組織から。そして深遠な思想を研究する学者たちが著書に我々のことを引用し、我々が草稿を出版しようとしていると書いたのである。カナダ・デシェーヌのセイグフリード・ハンシュ、ベルリンのハンス・クレフト、スウェーデン・ストックホルムのブラエス・グスタフ・ノードクイスト、オーストリア・インスブルックのビヨルン・ローヴェン、オーストリア・ケラーバーグのヨアヒム・ロタナー、ストックホルムのヤン・ワールグレン、スウェーデン・エスキルストゥナのP・サルツマン・ドゥラマール、ハンス・ワーナー・フォンエンゲル、西ドイツのバド・ガデスベルク、ストックホルムのステン・リンドグルー、スウェーデン・ヨーテボリのカレンダーからラルス・エリック・ヘリン、ロンドンのW・M・ドーソン・アンド・サンズ、スウェーデン・クリスティアンスタッドのチャールズ・ダノワ、ブラジル・サンパウロのジェームス・アウヴェス、スウェーデン・ヴェートランダのトルビヨルン・ホルムクイスト、ホンブルクのアーネスト・ハインリッヒ、デンマーク・スケリングステッド[コペンハーゲンの一区域か]のクラウス・アールスレフ・ヨルゲンセン、ストックホルムのゴスタ・カールソン、スウェーデン・マルメのピーター・ベルニン、フロリダ・レークワースのカーティス・J・マッコール博士、ニュージーランド・オークランドのロバート・アシュリー・フォーク、アメリカ合衆国・エヴァンスヴィルのテリー・W・コルヴィン、スウェーデン・マルメのスヴェン・バーティル・ハンソン、ボールレンゲ[スウェーデン]のキエル・エリクソン、ノースカロライナ州のモーリス・T・カイソン、アメリカ合衆国・アトランタのM・A・グレスハム・ジュニア、フロリダ・[フォート]ロウダーデールのアラン・Y・ウィルコックス、デンマーク・コペンハーゲンのストルーブス、カリフォルニア・ダウニーのアラン・D・ウィリアム、ウプサラ[スウェーデン]のストゥーヴ・サンドクイスト、スウェーデンのボー・H・スヴェンソン、アメリカ合衆国ワシントン州レパブリックのカレン・ケスティ、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州のリチャード・ワトソン、カナダ・トロントのオンタリオ芸術カレッジ、オランダ・ロッテルダムのジャック・エスケンス博士、パリ・モンマルトルのベルナン・コ・モベール、ストックホルムのL・S・U・ライドバーグ、イギリスUFO研究協会(ロンドン)の会長E・A・G・マッケイ、トランスヴァール[南アフリカ]のアニカ・フォックスクラフト女史、テキサス州ワイマールのオリヴァー・ウイリアムス、アムステルダム・“ヨハンラ”船のヤン・スワガーマン、テキサス州ニューストンのラドコ株式会社ロバート・B・ヤング・ジュニア、ストックホルムのアスキルド・アンド・カルネカル[出版社]のサム・J・ルンドワル、オクラホマ州のセドリック・レオナルド博士、ストックホルムのグウェンデルホルム、イタリア・ミラノのミケーレ・ボナミチ、スウェーデン・ヨーテボリのホセ・M・フェルナンデス、スウェーデン・ダンデリードのスペクトラム・フォルラグス株式会社レノールト・リドフォス社長。

 ブラジルの『クリマ・アストラル』、メキシコの『ザ・メキシカン・ニュース』、アメリカ合衆国の『スペクトラム』と『パースート[探求]』、そして古代および霊界研究を扱ったスウェーデンの本3冊(イヴァン・トロイングの『氷河期以前の文化』、H・クエルソンの『古代の技術』、マックス・B・ミラーの『空飛ぶ円盤』)。これらは、我々がもともと作った解説リーフレットを再掲し、我々が注目すべき本を発行しようとしていると報じた。マイソールのマハラジャは我々を招き、お茶を勧めてくれた後で、インド国家科学者であるタッカー博士に草稿を見せるよう望んだ。サンスクリット学者は怠惰な好奇心の前で知識をひけらかすようなことをひどく嫌う、ということを我々はマハラジャに思い起こさせた。草稿は英語に翻訳され、研究により検証されるべきで、そして初めて一般に公開できるものである、と我々は言った。力学部門の長であるM・A・ティルナラヤラン博士からの紹介状を持って、バンガロールにあるインド科学協会の科学博士4人がやって来た。そして我々に解明を求めた!

 それはまるでオレンジ形をしていた地球がヤマアラシにでもなって、その針を全側面から我々に向けて打ってくるかのようであった。そして我々をその使命[翻訳出版すること]に駆り立てるのだ。しかしそれは我々にとってあまりに骨が折れることだったので、取り掛かるのはずっと気乗りがしなかった!

 それゆえ、我々は全世界の人々からの善意をもとに力を溜め、この骨の折れる企てのために身を引き締める必要があった。

 草稿の価値に見合うように、その本はサンスクリット語の原本と英語の翻訳を含む必要があった。英語の翻訳は西洋の読者から要求されたものである。そして、より明確に飛行機のデザインが分かるように描かれたスケッチも入れる。その主題の偉大さに釣り合うよう、そして発刊を待ち望む人々の期待の高さに見合うように、美しい本にしなければならなかった。

 よって、[私が]81歳の時に我々は立ち上がり、サンスクリット語で書かれた技術的な話を読みやすい英語に直すことになった。何重にも校正しなければならないという重荷に耐えつつ、サンスクリット語と英語の印刷の双方を精査した。必要とした費用はかなりのものであったが、援助は何も見込めなかった。我々は、これまでの人生で貯めて来たわずかの資産を掻き集めて、必要とした高価な印刷設備を手に入れ、非常時の値段で労働力を調達し、ようやっと、神の恩寵に助けられて、この本の誕生を告げることができる。それは90年以上も懐胎されていたものなのだ!

『ヴィマーニカ・シャーストラー』は約6000行、ないし明晰なサンスクリット語の3000詩篇から成り、ヴィマーナすなわち飛行機の作り方を扱っている。古代サンスクリット語の単語は、シンプルに流れるような詩篇の形で、技術的な細部をもやすやすと叙述している。これはサンスクリット語の所産であり、また著者の偉大さによるものである。

 バラドワージャ師の名前は、ヒンドゥー賢者の万神殿において高位に列せられている。賢者たちは太古の霊的、知的、科学的諸分野においてインド文明を記録してきた人々である。彼らは何世代にもわたって口伝で知識を伝えてきた。樺樹皮や椰子の葉、自家製の紙などに書いて伝えるようになったのは過去1000年のこちら側[つまり、高々500年]なのである。それらですら、年数経過や天候、虫食いのせいで判読不能な状態になっている。ヴェーダ、ウパニシャッド、シャーストラ、プラナの大部については、書き残されたものは何も残っていない。それらはインドのためだけでなく、人類一般のために1万年以上も伝統として伝えられてきた。それらは空中のエーテルにしみ込んでおり、秘教的知覚力をもつ天才媒介者に対して――まるでテレビのように――開示されるのである。

 尊敬すべきパンディット[賢者、先生]のスッバラヤ・サストリは、『ヴィマーニカ・シャーストラー』を含む草稿という遺産を残した。彼は霊的才能のある、純真で正統的、知的なブラーミンであった。イギリス人であっても、英国化された(教育を受けた)インド人であっても、彼を知る者全てが彼を尊敬していた。それは彼の人生における様々な場面においてそうであった。

 彼は霊的知覚力を備えた、歩く辞典であった。彼のただひとつの願いは、その知識を後世に伝えることであった。ソクラテスのように貧困の生涯を生き、彼自身のためには何も求めなかった。

 1885年に、著名な占星術師で編集者のB・スリヤナライン・ラオ氏(科学士、MRAS[=不明])が初めてサストリ師と会い、師の熱心な唱道者となった。1911年、ラオ氏はマドラスで雑誌『ボーウティカ・カラー・ニディ』(物理学の宝物庫)を発刊し、この尊敬すべき賢者の啓示から抜粋したものを掲載した。我々はその貴重な雑誌の6冊を手元に持っている。神の恩寵により我々のもとに来たものである。

 1918年8月1日、サストリ師は『ヴィマニカ・サストラ』の口述を開始。ヴェンカタチャラ・サルマ氏が、1923年8月23日までにそれを23冊の練習帳に書き記した。

 こうしてバラドワージャ師の『ヴィマニカ・サストラ』は草稿の形となったのである。次いで、サストリ師は天才のひらめきで製図工を雇い、それを指導して飛行機のいくつかの種類について絵を描かせた。そしてこれらが草稿には不可欠の付録となった。これが1923年のことである。当時、インドはイギリス統治下であった。ガンディの非協力運動が巻き起こっていた。そして、スッバラヤ・サストリ師は逮捕されたと言われている! 従者の努力で何とか釈放されたが、彼の活動には制限が加えられた。1928年に師はダルバンガ[ビハール州の一部]のマハラジャに手紙を書き、草稿の出版について援助を求めた。しかしインドの金持ちは聞く耳を持たなかった。心が歪んでいたのだ! 失望し打ちひしがれて、1930年代初頭に尊敬すべきスッバラヤ・サストリ師は世を去った。そして世界はより貧しい状態で後に残された。

 20年あまり、師の草稿という遺産は冷蔵庫に置かれていたようなもので、ご令嬢と若きヴェンカトラマ・サストリ氏が管理していた。そして見えない力が動き出した。草稿に光が当たったのである。そしてついに、世界のエリートに向けてバラドワージャ師の『ヴィマニカ・サストラ』を送ることになった。そしてバラドワージャ師と尊敬すべきスッバラヤ・サストリの名声にこれを捧げることができる。神もお喜びであろう。

 我々は神の優しい取り計らいに感謝する。我々は、草稿を利用させて下さったヴェンカトラマ・サストリ氏に感謝する。我々の長男、G・S・ジョスヤー(文学修士、教育学士)に感謝する。彼はヴェンカトラマ・サストリ氏と連絡を取り、草稿を運んで、印刷できるようにしてくれた。また、草稿の一部を活字にしてくれた。彼はその有望な人生のただ中で不慮の死を遂げてしまったけれども。年下の息子、G・N・ジョスヤー(工学士)に感謝する。この事業をやり遂げるのを彼はずっと手助けしてくれた。そして事業の途中で相談相手となってくれた方々。アルワル・ティルマリエンガル氏、M・A・ティルナラヤン氏(工学士、MIE)、M・N・スリニヴァサン氏(科学士、名誉LLB)、M・A・ティルナラヤナン教授(科学博士)、M・C・S・チャリ氏(科学士)、N・ナラシンハン氏(工学士)、R・T・クリシュナン(工学士)、K・ラマスワミ・イエンガル師、PTI通信のN・N・サストリ氏。そして他の仲間、協力者たちにも。

 この75年間ほど、サンスクリット語と英語は我々の2つの眼となっている。我々はこのユニークな書物を世界のエリートの前に置く。それは永遠に生き続ける過去による、世界文学に対する傑出した貢献である。世界の人々がこの本を評価できないほど貴重なものとして図書館に加え、常に興味深いものとして扱って欲しい。それが我々の願いである。

 20世紀は2つの達成により歴史的であったと言われるかもしれない。一つは宇宙から月の石を持って来たこと。そしてもう一つが、未知の過去から『ヴィマニカ・サストラ』が刊行されたことである。月の石はただの石であり、南アフリカ・キンバリー産の輝く石の一群ではない[ダイヤモンド原石には及ばないという意味か]。しかし『ヴィマニカ・サストラ』は、飛行機の製造に関する重要公理という豊饒の角[ギリシャ神話。幼時のゼウスに授乳した山羊の角]である。それはリンドバーグ、ロールズ[・ロイス]、ツエッペリン、デ・ハビヤンド[イギリスの航空機メーカー創設者]、ツポレフ[旧ソビエト連邦・同]、パンアメリカン航空のハロルド・グレイ[最初の大西洋横断機長]らを驚かせて彼らの口をぽかんと開けさせるものだ。そして正しく運用すれば、飛行機製造の新しい時代が到来し、人類の利益となるだろう!

1973年3月15日
マイソール4、インド

G・R・ジョスヤー
サンスクリット研究国際アカデミー
名誉会長
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2011年04日 ヴィマーニカ・シャーストラ日本語訳 こめんと0 とらっくばっく-

円高のお陰で安いとはいえ・・・。

ヴィマーニカに残された最後の調査ポイント(自分にとって、現時点での)を探索すべく、AmazonのUSでポチってしまいました。

"Just half a world away; my search for the new India"(1955)
Lyon, Jean; Hardcover; $6.94

渋いですな~。どんだけ虫食い&ダニがついてくるのか、戦々恐々である。
届いたらさっそく殺虫剤でも撒かねばならんかも・・・。
これ以上、子供が何か病院沙汰になるのはもうご勘弁願いたいし。

悲しいのはせっかく円高のお陰で中古本が562円と格安なのに、
Items: JPY 562
Shipping & Handling: JPY 1,012

送付代が1012円もするナリ。
ま、それでも国境を越えるのだから安いもんだかな。

大問題は、船便なのか来年1~2月の到着予定だそうで・・・(涙)。
2011年04日 ヴィマーニカ・シャーストラ日本語訳 こめんと0 とらっくばっく-

マータイさんの自伝。

最近、日中はケニアの調査。
本日はずっと本を読んで、疑問点はネッツで調べるという優雅な(?)一日。
帰りの電車も基本的に読書。

ワンガリ・マータイさんの自伝『へこたれない』を読了。
面白い本だった。
やっぱり波乱万丈の人生じゃないと面白くないね。
弾圧されたり離婚訴訟されている間は、本人にはそんな風には露とも感じられなかったでしょうが。
(弾圧場面はけっこう、エグい。)

夕方からはアフリカの中国人について書かれたルポと、マラウィの風力発電少年をダブル読みしながら、後者を持って帰って来た。
明日は大部のアフリカ史に齧りつこうかな?
2011年05日 書評deヘンテコ こめんと0 とらっくばっく-

ケニアと再生エネルギーとBOPビジネスと。

標題の分野を読みまくっている今日この頃。

■ヴィジャイマハジャン、松本裕『アフリカ 動きだす9億人市場』
なかなか具体例が詰まっていて(詰まりすぎか?)面白い。
超飛ばし読みでしたが、重要箇所がゴチになっていてそれでも頭に入る。
インターネット加入人口の箇所で、アフリカと韓国ほかを比べて「ほら、アフリカは多いでしょう」と言っているあたりは倒れそうになったが。こうゆう、無理目のデータ比較も多いような気がする。

■芝陽一郎『アフリカビジネス入門―地球上最後の巨大市場の実像』
先にこちらを読んだが、後から上の『9億人~』を読むと、構成がパクリにしか思えない。
せっかく自分の体験がいろいろあるのに、インタビュー形式もなく(ナッツカンパニーの社長と親しいなら、ミニインタビューくらい欲しかった)、特に前半はデータの羅列だけで、なんだか説得力に欠けるんだよね。
確かにアフリカにもビジネスチャンスはあるな、で終わる本。

■ARC国別情勢研究会編『ケニア : 経済・貿易・産業報告書 2010-2011年版』
これで12600円ですか、国会図書館でざっと見たら終わりだったのに。

■ブリジット・タングェイ『ケニア』2008(ナショナルジオグラフィック世界の国)
中~高校生にケニアを知ってもらう、興味を持ってもらうにはいいかも。写真は良いが、あっさり終わる。
インターネット時代には厳しい本と言えるかな・・・。

■ダンビサ・モヨ、 小浜 裕久訳『援助じゃアフリカは発展しない』
意図はよく分かった。でもドンゴ国のあたりから、もう脳内妄想につき合わされている感じが否めず・・・。
主張が激しく、明確だから、議論をこれに擦り付けるためには有用なのかもしれんが。
日本の政治家もこうゆうのちゃんと使って、上手に国益を誘導して欲しいんだが。
という、ツールとしては読んでいていいのかもという本。

■『風をつかまえた少年』
もう時間がないので著者名を端折るが(たぶん今夜追加します=笑)、これは最高。
面白い。マラウィの少年が飢えて、家にお金がなくなって中学校にいけなくなり、なんとかしなければと風力発電作りに取り組む。
これは半べそ手前まで泣かされる。(泣いてないけど)
ドラマってこうじゃないとね。この青年がアメリカや各国を股に、天狗にならずに活躍してくれることを願う。
いや、いい本です。
2011年09日 書評deヘンテコ こめんと0 とらっくばっく-

『敬語の英語』と『英語の頭で書ける本』

先日の図書館5冊がもう期限切れ。さすがに今週末に返さないとアカン。

■『敬語の英語』デイヴィッド・セイン、佐藤淳子著(ジャパン・タイムズ、2005年)

これは意に反してライティングじゃなかった。
ライティングにも応用できそうだが、想定は会話シーンです。
とはいえ、かなり面白い。
本文部分での解説も含めると、重複が結構あるのでそのあたりはしつこい感じがする構成。
しかしPC表現の対照表などは役に立ちそう。

これはどうでしょう、大学生~社会人くらいまで広く対象になりそう。
口をついて出てくるまで特訓したら、rather decentな人になれそうである。
ワタクシはこの本の要素を抜き出してWordファイル化したので、これからしばらく練習の日々なのだ。

■『英語の頭で書ける本』福島範昌著(ジャパン・タイムズ、2005年)

これは高校生~大学生向きかな。文法の確認にはよいが、ちょっと基本が多い。
あくまで個人的な感想なんですが。
悪い本ではないんだが、ネイティブライターがこれだけ本を出しているこのごろ、このタイトルでこの立ち位置はちょっと不利な気がする。

■『はじめての英語論文 パターン表現&文例集』和田朋子著(すばる舎、2007年)

ううっ、今回借りた5冊のうちで最高の本とみなしていた本書が後回しだ。
これだけこっそり、1週間ほど借り逃げするかな・・・。でも中古でAmazon購入して電子化するかも。
これから数時間以内に検討しようw
2011年10日 英語ライティング(ビジネスメール) こめんと2 とらっくばっく-

ケニア文献、かなりハズれた奴(※あくまでワタクシにとってだが)

■スチュアート・L・ハート、テッド・ロンドン『BOPビジネス市場共創の戦略』英治出版、2011

アームチェア型のビジネス戦略オタクですか、アンタがたは・・・と言いたくもなるような内容。
悪いけど今回のミッションとワタクシの読書性向とは相容れない。ひっかからなかった・・・。


■佐藤寛編著 アフリカBOPビジネス―市場の実態を見る(JETRO、2010)

これはですね、PDFで流布しているJETROの報告書を読めば終わりですよ。
わざわざ買ったんですが(いや、ワタクシの財布からではない。国会図書館で見てからにしようと言ったんだけど・・・)。

ぼよん。
2011年10日 書評deヘンテコ こめんと0 とらっくばっく-

和田朋子『はじめての英語論文 パターン表現&文例集』(すばる舎、2007年)

先日図書館で借りた5冊のうち、最も期待していたもの。
読むのは最後になってしまったが。

で、結論から言うとかなりガッカリ。
「志が高く、外側は高品質。だけど中のアンコのスカスカな豆大福」と評する。

企画のアングルは明らかに良い。
個人的な経験からも、「英語で論文(や小論文・エッセイ)を書くのはどうゆうことなのか」を正面から扱った本が少なかった(※2004年時点だけど)。

記憶の中では、TOEFLライティングのちゃんとした本と、『アメリカ大学院留学』というガイド本くらいだろうか。
しかし前者はテスト用エッセイの技法、後者は心構え中心だったので、それらをも包括して正面からこの題材を扱った本は絶無だった。管見では。

和田本はこのエアポケットをちゃんと知って、この本を書こうとしたのはいいと思うんだ。

そして実際、このパートをもっと展開してしっかりと語れば、かなり有益な本になったはずだ。(個人的には、第3部+p.159コラム⇒第1部の順でいいのに、と思う。んで、第2部は最後でよい。)
日本の学生向けには第3部をしっかり語らないとダメですよ? 
個人的には、p.159にあるような英語での"起承転結"的論旨の構築について、さまざまなパターン(論理構築の文化論も含めて)を知りたかったのだが。ここが小さなコラムで終わりか・・・。

和田氏は、これまでの論文技法本が単語帳や言い換え帳だった・・・と批判して本書を企画したはずなのに、結局は第2部(英語論文の表現30+言い換え表現リスト)が分量的にも多くなり、しかもそこが重複だらけ。

いや、この第2部が本当に点数が低いんですよ。
お堅い論文に頻出する決めゼリフを集めたものとはいえ、読んでいて全然ワクワクしない文例ばかりで、これを参考に一生懸命論文を書いても、絶対に無味乾燥なつまんない論文にしかならないはず。
論文を書くことを作業にしかねないガイド。ふくらみがない。
スティヤーの『ネイティヴが教える英語作文の技術』のような、書くことが創造的営みであり、英語でこうゆうことができる(あるいは、英語書きがしている)のか、という驚きが全くなかった。

最も許容しがたいのが、各項目の2見開き目では左右ページで重複、上下項目で重複する内容が頻発。
「単語XはYまたはZで置き換えてもよい」⇒(右ページにはそれを表にしただけのものが載っている)など。
例えばp.87トップと最下段の項目。あとは推して知るべし。

残念。
★5つ評価で3つくらいまではあげるけどね・・・。
2011年14日 英語ライティング(ビジネスメール) こめんと0 とらっくばっく-

Jean Lyon『Just Half a World Away』が届いた。

jeanlyon20111219

ジーク・ジオン! じゃなかった、ジーン・リオンの本が届いた。
アメリカから来ただけだけど、1954年刊だから時空を超えて届いたような気がする。
しかも、到着予定日は来年1~2月だったんだけど(直近のメールでもそうだった)。なぜに今日?

ま、そういう不可思議は措いておいて、本自体は大変美麗。いや"新品"同様だ。
カバーの縁がさすがにイカレているけどね。

で、30.Science by Sutrasはもう読んだ。
これで確かに1952年(あるいは1954年以前)に、インドの新聞に草稿発見のニュースが出たことは信頼できる事実となった。
その他にも興味深い点がいくつか。
面白そうな本なので、この項目以外も全部読もうっと。

(インドにサンスクリットにケニアに環境問題に英語本と、本まみれの数ヵ月だなぁ。)
2011年16日 ヴィマーニカ・シャーストラ日本語訳 こめんと0 とらっくばっく-

Match01 南アフリカVSメキシコ(1-1)

いまさら2010南アフリカW杯のビデオを見返す。
というのも、ビデオテープを処分するため、最後に見返していくのだ。
せっかくほとんどの試合を録画したのに、時間がなくて全然見なかった試合もあるのだ(チリの試合とか)。
なんで今さらVHSだったのか、は以前書いたので繰り返さないが、やっぱり時代錯誤だったね。

===
いつも4バックが普通の(はずだ)メキシコが、右のアギラールを上げてあからさまな3バックで開始。
前半17分、そのアギラールの裏街道、好きです。仕掛けから抜き去りが速いです。
W杯でこれだけ見事な裏街道抜けって記憶がないな・・・。

ドスサントスが効きまくり。
ロナウジーニョのようなボールキープをする。ガニ股なのだ。

前半38分だかの、CKからのメキシコのゴール・・・?
え、あれがオフサイド? と思ったのだが、ゴール内にひとり残ったDFがみなしGKということで、あれは正式ルールではオフサイドなんでしょうか。
メキシコベンチは滅茶苦茶抗議してた。
ワタクシもサッカーやってるくせにルール文面で理解してないので、おうゴールじゃん? と思った。
たぶん「最終の一人(=通常はGK)より1人前で引いた横線をオフサイドラインと設定」みたいな記載なんだろう。
でなきゃ世紀の誤審で話題になってただろうし。
しかし、あれを草サッカーでやったら十中八九得点が認められそうだ(笑)。

===
後半10分、カウンターからシャバララの見事な開幕ゴール。
無回転。いま見返しても鳥肌が立つ。
メキシコの3枚のDFは、南アのアタッカンテを甘く見たのか、その直前でたぶん中央のDFが2列目に侵入してボール回しに入ってたのが、奪い去られて最終ラインが2枚になってしもた。
そこを左からものすごいツッコミでシャバララ。
水門を通す素晴らしいスルーパスが彼に渡りました。
解説の都並さんはボールが出た瞬間に「あーこりゃ決まるよ!」と言いましたが、さすがにあんなシュートはだれも予想できない。コーナーに突き刺さる弾道が美しい。
自動車運転(?)のゴールパフォーマンスも楽しい。あれ、真似したいね。

その後、攻勢をかけるメキシコを尻目に、南アにはあと2回くらい突き放すチャンスがあった。
コレクティブな攻撃ができれば特に難しくないシーンで、開催国プレッシャーもあるのか、自我が出すぎたね。
どちらかを決めてれば試合は終わってた。

で、メキシコは昼ナンデスと名物男ブランコを立て続けに投入。
79分(後半34分)、ついにCKからの崩れをマルケスらが抜け出し(3枚もいた)、GKと1対1を不思議なキックでゴールに叩き込む。
ありゃー、南アのDF(長身、CBの選手かな?)が悪いよ。
周りのみんながライン上げたところ、自分だけなぜかステップバックしてオフサイドラインぶち壊し。
で、メキシコ3枚飛び込んで大外のマルケスに渡っちゃったんだから。

試合終了間際に南アの(えーっと、名前忘れた)快速交代FWがポスト直撃。
あの追っ付けシュート面白し。

===
ということで、前半はやや退屈だったが、後半になかなかの見所があった試合。
高地+ジャブラニ不慣れ、でロング系のパスにミスが多かったのが残念。
それでもブランコのパスはぴたりと合うんだから不思議だ(全世界のオヤジプレイヤーの星か)。
2011年24日 W杯2010雑感 こめんと0 とらっくばっく-

広島のワタリガニ。

http://homepage3.nifty.com/ajiyoshi/sakana.htm

ガザミというらしいのですが、これが美味いらしい。
先日、飲み会の席で広島住み経験者2名が言っていた。
春(5月)ころに獲れる川蟹も美味いという話だったが・・・ググっても分からない。

3月に家族で広島に突撃するかな?
2011年31日 ぐるメモ(7)中国 こめんと0 とらっくばっく-
  

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40年の時を超えて…復刊!

ヴィマーニカ・シャーストラ [日本語訳]

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