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林芙美子『浮雲』プロジェクト、始動!

林芙美子は心の師である・・・とまでは言わないけれど、彼女の『放浪記』『浮雲』は全国民必読。とくに後者は近現代日本文学を語る上でスキップしてはならぬ!(キリッ)・・・とワタクシは堅く信じている。

電子書籍や青空文庫に関心をもち、関わるなかで、自分も『放浪記 第一部』をOCR読み取り⇒自力校正方式でテキスト化した過去がある。せっかくやったのに死蔵して放置してました・・・。

Kindle3時代になって気づいてみたら、なぜか任天堂が第三部までの全巻をテキスト化して青空文庫に入れているではないか~。偉いね。まぁ、自社用のコンテンツとして業務的に用意したのだと拝察しますが。

いま、これを電車のなかでありがたく拝読してます。これで新潮文庫や、森まゆみ解説・初版本テキストの復刊バージョンも書棚からいらなくなるかな?

さて、では本命の『浮雲』をワタクシができるところまでやってみましょうか、というのが今回のプロジェクト。すでに未完のプロジェクトだらけで心苦しいんですが、やり始めることは悪くない。

その昔、小宮山書店で購入した昭和26年(※初版と同年)の第三版が手元にある。これをシコシコとテキスト化してみようか。

この本、ステキな装丁は岡鹿之助:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E9%B9%BF%E4%B9%8B%E5%8A%A9

現時点で著作権存続。消滅まであと18年あまり。
電子化するときに表紙~中扉くらいまではスキャンして再現したいものだが(しかもこの本の装丁はとても美しいのだ)、この点でできませんね。(あくまで自分仕様のPDFで楽しもうっと!)

さてテキストのほうは旧字・旧かな。旧字は個人的には使いたい、こだわりたい。しかしテキスト化するには新字にしないと再現できないところが出てくるはず。ここは涙を呑んで新字に変換することを原則としたい。他方、仮名遣いはなるべく原文に沿ったものとする。

また、このブログで発表していくテキストは最終的には青空文庫に入るべきものと考えている。しかし、テキスト化の労力は私のものであり、許可なく勝手に青空文庫等に入れちゃったり、中途で放置された状態・途中までの部分的なものなど・・・を"横取り"して完成させちゃうようなことはご遠慮いただきたい。電子出版にも出版仁義というのはある(べき)と思うのだ。必要ならばこのブログやTwitter(@uzawak)で連絡をください。

以上を取り決めておいて、亀の歩みでスタ~トすっべか!
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2010年12日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

浮雲20100912

浮雲
林芙美子


理性が万物の根拠でありそして万物が理性であるならば
若し理性を棄て理性を憎むことが不幸の最大なものであるならば‥‥。
―シエストフ―





 なるべく、夜更けに着く汽車を選びたいと、三日間の収容所を出ると、わざと、敦賀の町で、一日ぶらぶらしてゐた。六十人余りの女達とは収容所で別れて、税関の倉庫に近い、荒物屋兼お休み処といつた、家をみつけて、そこで独りになつて、ゆき子は、久しぶりに故国の畳に寝転ぶことが出来た。
 宿の人々は親切で、風呂をわかしてくれた。少人数で、風呂の水を替へる事もしないとみえて、濁つた湯だつたが、長い船旅を続けて来たゆき子には、人肌の浸みた、白濁した湯かげんも、気持ちがよく、風呂のなかの、薄暗い煤けた窓にあたる、しやぶしやぶしたみぞれ[#「みぞれ」に傍点]まじりの雨も、ゆき子の孤独な心のなかに、無量な気持ちを誘つた。風も吹いた。汚れた硝子窓を開けて、鉛色の雨空を見上げてゐると、久しぶりに見る、故国の貧しい空なのだと、ゆき子は呼吸《いき》を殺して、その、窓の景色にみとれてゐる。小判型の風呂のふちに両手をかけると、左の腕に、みゝずのやうに盛り上がつた、かなり大きい刀傷が、ゆき子をぞつとさせる。そのくせ、その刀傷に湯をかけながら、ゆき子はなつかしい思ひ出の数々を瞑想して、今日からは、どうにもならない、息のつまるやうな生活が続くのだと、観念しないではなかつた。退屈だつた。潮時を外づした後は、退屈なものなのだと、ゆき子は汚れた手拭ひで、ゆつくり躯を洗つた。煤けた狭い風呂場の中で、躯を洗つてゐる事が、嘘のやうな気がした。肌を刺す、冷い風が、窓から吹き付けて来る。長い間、かうした冷い風の触感を知らなかつただけに、ゆき子は、季節の飛沫を感じた。湯から上つて部屋へ戻ると、赤茶けた畳に、寝床が敷いてあり、粗末な箱火鉢には炎をたてゝ、火が熾つてゐた。火鉢のそばには、盆が出てゐて、小さい丼いつぱいにらつきようが盛つてある。ぐらぐらと煮えこぼれてゐるニュームのやかん[#「やかん」に傍点]を取つて、茶を淹れる。ゆき子はらつきようを一つ頬張つた。障子の外の廊下を、二三人の女の声で、どやどやと隣の部屋へ這入つて行く気配がした。ゆき子はきゝ耳をたてた。襖一重へだてた部屋では、一緒の船だつた、芸者の幾人かの声がしてゐる。
「でも、帰りさへすればいゝンだわ。日本へ着いた以上は、こつちの躯よ、ねえ‥‥」
「本当に寒くて心細いわ。‥‥あたい、冬のもの、何も持つてやしないもンね。これから、まづ身支度が大変だよ」
2010年12日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

浮雲20100913

 口ほどにもなく、案外陽気なところがあつて、なにがをかしいのか、くすくす笑つてばかりゐる。
 ゆき子は所在なく寝床へ横になつて、暫く呆んやりしてゐたが、気が滅入つて、くさくさして仕方がなかつた。それに、何時までたつても、隣室の騒々しさはやまなかつた。べとついた古い敷布に、ほてつた躯を投げ出してゐるのは、気持ちのいゝことであつたが、これからまた、長い汽車旅につくといふことは、心細くもあつた。肉親の顔を見るのも、いまではさして魅力のあることではなくなつてゐる。ゆき子は、このまゝまつすぐ東京へ出て、富岡を尋ねてみようかとも思つた。富岡は運よく五月に海防《ハイフオン》を発つてゐた。先へ帰つて、すべての支度をして、待つてゐると約束はしてゐたのだが、日本へ着いてみて、現実の、この寒い風邪にあたつてみると、それも浦島太郎と乙姫の約束事のやうなもので、二人が行き合つてみなければ、はつきりと、確かめられるわけのものでもない。船が着くなり、富岡のところへ電報も打つた。三日間を引揚げの寮に過して、調べが済むと、同時に、船の者達は、それぞれの故郷へ発つて行くのだ。三日の間に、富岡からは返電は来なかつた。これが逆であつてみても、同じやうな事になつてゐるのかもしれないと、ゆき子は何となく、あきらめてきてもゐた。ひとねいりしたが、まだ時間はあまりたつてゐない。障子が昏くなり、部屋のなかに、燈火がついてゐる。隣では、食事をしてゐる様子だつた。ゆき子も腹が空いてゐた。枕許のリュックを引き寄せて、船で配給された弁当《レイシヨン》を出した。茶色の小さい箱のなかに、四本入りのキャメルの煙草や、ちり紙、乾パン、粉末スープ、豚と馬鈴薯の缶詰なぞが、きちんとはいつてゐる。その中からチョコレートを出して、ゆき子は、腹這つたまゝ齧じつた。少しも甘美くはなかつた。
2010年13日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

浮雲20100914

 ――ドウソン湾の紅黄ろい海の色が、なつかしく瞼に浮ぶ。ドウソンの岬の、白い灯台や、ホンドウ島のこんもりとした緑も、生涯見る事はないだろうと、ゆき子は、船から焼きつくやうに、この景色に眼をとめてはゐたが、そんな、異郷の景色もすつかり色あせてきて、思ひ出すのも億くうであつた。隣室の女達は、夜汽車で発つのか、食事が終ると、宿のおかみさんに、勘定を払ってゐる様子だつた。ゆき子は騒がしい隣室の様子を聞きながら、粉末スープを湯呑みにあけて、煮えた湯をそゝいで飲んだ。残りのらつきようも食べた。やがて女達は、お世話さまになりましたと、口々に云ひながら、おかみさんの後から廊下をにぎやかに通つて行つた。女の声を聞いてゐると、ゆき子は、あの女達も、それぞれの故郷へ戻つて行くのだらうと、誘はれる気がした。ゆき子が、船で聞いたところによると、芸者達は、プノンペンの料理屋で働いてゐたのださうで、二年の年期で来てゐた。芸者とは云つても、軍で呼びよせた慰安婦である。――海防の収容所に集つた女達には、看護師や、タイピストや、事務員のやうな女もゐたが、おほかたは慰安婦の群であつた。こんなにも、沢山日本の女が来てゐたのかと思ふほど、それぞれの都会から慰安婦が海防へ集つて来た。――幸田ゆき子はダラットとドユランの間にある、パスツール研究所の、規那園栽培試験所のタイピストとして働いてゐた。昭和十八年の秋、ダラットに着いたのである。この地は海抜高一・六〇〇米位で、気温も最高二五度、最低六度位で、高原地帯のせゐか、非常に住みいゝところであつた。仏蘭西人で茶園を経営してゐるものが多く、澄んだ高原の空に、甘い仏蘭西の言葉を聞くのは、ゆき子には珍しかつた。
 ゆき子はふつと、富岡へ手紙を書かうと思つた。どんな事を書いていゝかは、判らなかつたけれども、書いて行くうちには、何とか心がまとまつて来さうであつた。富岡と同じ土の上に着いてゐるのだと思ふと、海防の収容所で、心細く虚無的になつてゐた気持ちも、少しづゝ立ちなほつてきさうである。ゆき子は店の子供に頼んで、レターペエパアと封筒を買つた。
2010年14日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

浮雲20100915




 ゆき子は気が変つてきた。ゆき子は、まつすぐ東京へ出て伊庭を尋ねてみようと思つた。焼けてさへゐなければ、富岡に逢へるまで、まづ伊庭の処へ厄介になつてもいゝのだ。厭な記憶しかないが、仕方がない。静岡には何のたよりもしなかつたので、自分の帰りを待つてくれる筈もない。――夜更けの汽車で、ゆき子は敦賀を発つた。船で一緒だつた男の顔も二人ばかり、暗いホームで見掛けたけれども、ゆき子は、わざとその男達から離れて後の列車に乗つた。驚くほどの混雑で、ホームの人達はみんな窓から列車に乗り込んでゐる。ゆき子も、やつとの思ひで窓から乗車することが出来た。何も彼もが、俊寛のやうに気後れする気持ちだつた。南方からの引揚げらしい、冬支度でないゆき子を見て、四囲の人達がじろじろゆき子を盗見してゐる。如何にも敗戦の形相だと、ゆき子もまた立つて揉まれながら、四囲を眺めてゐた。夜のせゐか、どの顔にも気力がなく、どの顔にも血色がない。抵抗のない顔が狭い列車のなかに、重なりあつてゐる。奴隷列車のやうな気もした。ゆき子はまた、少しづゝこの顔から不安な反射を受けた。日本はどんな風になつてしまつたのだらう‥‥。旗の波に送られた、かつての兵士の顔も、いまは何処にもない。暗い車窓の山河にも、疲労の跡のすさまじい形相だけが、るゐるゐと連らなつてゐた。
2010年15日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

おわわわっ!?

UVa Library Etext Center: Japanese Text Initiative
http://etext.virginia.edu/japanese/hayashi/ukigumo/index.html

『浮雲』のテキスト、あるんじゃん!!!
しかもアメリカの大学か!
ヴァージニア大学の図書館か、日本語学科か何かでしょうか。

もちろん「浮雲はオレがテキスト化をやってやろうかな」と思い立ったときにググって調べはしたんですが、これだけ検索結果が英語サイトなんで、すっかりスルーしてました(汗)。
今日、ヒマだったときに調べなおして発見した次第。

・・・ははぁん。日本文学もアメリカの大学がテキスト化して収蔵する。
すごい時代になったもんです。

ということで、4日ほど続いたこの「浮雲プロジェクト」はあっさりと終了?

確かに、その選択肢もある。

ワタクシが気になるのは上のテキストについた(c)なんですよね。

copyright 2003, by the Rector and Visitors of the University of Virginia
だって。
いやいや、(c)は林芙美子で、それが著作権消滅してんでしょうが!
テキスト化した人の努力(日本人と思しき女性2人がテキスト化と校正をした模様)と、このプロジェクトの社会的な意義は大いに認めますが、成果物はそもそも著作権消滅したテキストでしょ。テキスト化しただけでそれに(c)付けてどうする。

この電子テキスト図書館には、利用規定というのもあって、
Conditions of Use:
http://etext.lib.virginia.edu/collections/conditions.html

「教育目的なら印刷して配布しても構わないが、それ以外は商用・非商用問わず転用を許可しない云々」とある。
個人的なダウンロードも許可しないとか、すごいね・・・。
そうゆう主張もできなくはないけど、法律的には根拠ないよね?
(アメリカなら「テキスト化した権利」とかも著作権として認められるのだろうか? 寡聞にして知らぬ。)

出版隣接権(いわゆる"版面権"とか)の電子書籍版だとも思ってみるが、ワタクシの許容するそれよりもずっと了見が狭いね。

先日も書いたけれど、ワタクシのスタンスは「もともと著作権消滅してるんだから、最終的にはみんなで利用できるようにしたいよね、すべきだよね」であって、「しかし、作業しているところを(色々な意味で)邪魔しないでくださいね」という意味合いで、"出版仁義"みたいなのは考えて欲しいぜというスタンス。
無論、協力とかコラボ申請があれば可能な限り受けたい。
それはどんな著作権消滅テキストの例でも、変わらない。

テキスト自体が自分のものじゃないんだから、フツーは必然的にそのくらいのスタンスで終わるんじゃないのかな?
いまのままだと、日本文学をアメリカの大学でテキスト化して、日本人は閲覧はできるけれど、本来の意味で自由に利用できないような気がする。
エジプトの秘宝が大英博物館に入れられていて、エジプト人さえも高いお金を出さないと実物を見られないような、そんな構図を思い浮かべてしまう・・・。

それを"突破"する正当な方法は、ヴァージニア大学でテキスト化したのと同様なやり方で(正当に)テキスト化するしかない。
ヴァージニア大学で使った底本は六興出版社の1951年というから、恐らく同じものだろう(ワタクシのは同年初版後すぐに出た第3版なので、ほんの少しの異同はあるかもしれないが)。
(ちなみに上のテキストは旧字旧カナなんですが、やっぱり旧字は徹底できてませんね。しょうがないんだけど。)

ここでワタクシがテキスト化を繰り返すのは、無駄な労力かな?

でも、個人的にはこの本が好きなので、毎晩のようにシコシコと打っていってもそれほど苦にはならない。
なにより、ワタクシがいずれ推奨する予定の「ウェブ写経」みたいに、作家の筆運び・息遣いも含めて味読できるのではないかと思うのだ。

そんなわけで、このプロジェクトはワタクシの作業オリジナルとして、継続しようと思うのだ。
最後にはそれをヴァージニア大学版と並ぶ「ヘンテコ版」としてオープンな形にしたいし、青空にも条件が合えば入れてもらうことになるだろう。そういう意義付けで、続けてみようと思う。

それにしても、OCRも使わずに完全棒打ちでやるなんて、ご苦労だねぇ・・・(笑)。
2010年16日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

浮雲20100916

 東京へ着いたのは、翌日の夜であつた。雨が降つてゐた。品川で降りると、省線のホームの前に、ダンスホールの裏窓が見えて、暗い燈火の下で、幾組かゞ渦をなして踊つてゐる顔がみえた。光つて降る糠雨のなかに、物哀しいジャズが流れてゐる。ゆき子は寒くて震へながら、崖の上のダンスホールの窓を見上げてゐた。光つた白い帽子をかぶつた、背の高いMPが二人、ホームのはづれに立つてゐる。ホームは薄汚れた人間でごつた返してゐる。ジャズの音色を聞いてゐると、張りつめた気もゆるみ、投げやりな心持ちになつて来る。そのくせ、明日から、生きてゆけるものなのかどうかも判らない懼れで、胸のなかゞ白けてゐた。ホームに群れだつてゐるものは、おほかたがリュックを背負つてゐた。時々、思ひもかけない、唇の紅い女が、外国人と手を組んで、階段を降りて来るのを見ると、ゆき子は、珍しいものでも見るやうに、じいつとその派手なつくりの女を見つめた。かつての東京の生活が、根こそぎ変つてしまつてゐる。
2010年16日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

浮雲20100917

 ゆき子が、西武線の鷺の宮で降りた時、その電車が終電車であつた。踏み切りを渡つて、見覚えの発電所の方へ行く、広い道を歩いてゐると、三人ばかりの若い女が、雨のなかを急ぎ足にゆき子のそばを通り抜けて行つた。三人とも、派手な裂地で頬かぶりをして、長い外套の襟をたててゐた。
「今日、横浜まで送つて行つたのよオ。どうせ、ねえ、向うには奥さんもあるンでせう‥‥。でも、人間つて、瞬間のものだわねえ。それでいゝンだらう‥‥。友達を紹介して行つてくれたンだけどさア、何だか変なものよねえ。自分の女にさア、友達をおつゝけて行くなンて、日本人には判らないわ‥‥」
「あら、だつて、いゝぢやないの。どうせ、別れてしまへば、二度と、その人と逢へるもンでもないしさア、気を変へちやふのよオ。あたしだつて、もうぢき、あの人かへるでせう‥‥。だからさア、厚木へ通ふのも大変だしね、そろそろ、あとのを探さうかと思つてンのよ‥‥」
 ゆき子は、賑やかな女達の後から足早やについて行つた。そして、声高に話してゐる女達から聞く話に、日本も、そんな風に変つてしまつてゐるのかと、妙な気がしてきた。

2010年17日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

『浮雲』20100922

 やがて女達は、ポストの処から右へ這入つて行つてしまつた。ゆき子はすつかり濡れ鼠になつて疲れてゐた。此のあたりは、南へ出発の時と少しも変つてはゐなかつた。細川といふ産婆の看板を左へ曲つて二軒目の、狭い路地を突きあたつたところに、伊庭の家がある。自分の、このみじめな姿を見せたら、みんな驚くに違ひない。ゆき子は石の門の前に立つて、暗い街燈の下で身づくろひをした。ずつぷりと髪も肩も濡れてゐる。落ちぶれ果てたものだと思つた。ベルを押してゐると、仏印へなぞ行つてゐた事が、嘘のやうな気がして来た。玄関の硝子戸に燈火が射して、すぐ大きい影が、土間に降り立つたやうだ。ゆき子は動悸がした。男の影だけれど、伊庭ではない。
「どなた?」
「ゆき子です‥‥」
「ゆき子? どちらの、ゆき子さんですか?」
「仏印へ行つてました、幸田ゆき子です」
「はア‥‥。どなたをお尋ねですか?」
「伊庭杉夫はおりませんでせうか?」
「伊庭さんですか? あのひとは、まだ疎開地から戻つてはおられませんですよ」
2010年22日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

『浮雲』20100923

 その影の男は、やつと、億くうさうに鍵を開けてくれた。濡れ鼠になつて、外套も着ないで、リュックを背負つてゐる若い女を見て、寝巻きを着た男は、吃驚したやうな様子で、ゆき子を眺めた。
「伊庭の親類のもので、今日、戻つて来たものですから‥‥」
「まア、おはいり下さい。伊庭さんは、三年ほど前から、静岡の方へ疎開してゐらつしやるンですがね」
「ぢやア、こゝはもう、伊庭はすつかり引揚げてゐるンでせうか?」
「いや、伊庭さんの代りにはいつてゐるンですが、伊庭さんの荷物は来てゐますよ」
 ゆき子達の話声を聞いて、その男の細君らしいのが、赤ん坊をかかへて玄関へ出て来た。ゆき子は仏印から引揚げて来た事情を話した。伊庭と、この男との間は、家の問題でいざこざがある様子で、あまりいゝ顔はしなかつたが、それでも、こゝは寒いから座敷へ上れと言つてくれた。
 敦賀の宿で、握り飯を一食分だけ特別につくつてくれた以外は、飲まず食はずの汽車旅だつたので、ゆき子は躯が宙に浮いてゐるやうだつた。廊下のミシンにぶつゝかつたりして、座敷へ通ると、伊庭の一家が何時も寝室に使つてゐた六畳間で、荷造りした荷物が畳もへこんでしまふ程積み重ねてあつた。仏印から引揚げて来たと聞いて、細君は同情したのか、茶を淹れたり、芋干しを出したりした。男は四十年配で、躯の大きい、軍人あがりの、無骨なところがあつた。細君は小柄で色の白い、そばかすの浮いた顔をしてゐたが、笑ふと愛嬌のいゝ笑くぼが浮いた。
2010年23日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

『浮雲』20100924

 その夜、蒲団を二枚借りて、伊庭の荷物の積み重ねてある狭いところへ、ゆき子は一夜の宿をとる事が出来た。ゆき子はリュックからレイションを二箱出して細君へ土産代りに出した。
 床へはいつて、寝ながら、こも包みの荷の中へ指を差しこんでみると、厚い木でがんじやうに打ちつけてあるので、なかに何がはいつてゐるのかさつぱり判らない。話によると、暮までには伊庭が上京して来るので、二部屋ばかり空けなければならないと細君は言つてゐた。六人家内なので、いまのところ、どの部屋を空けるかゞ問題だけれど、自分達は空襲時代、一生懸命にこの家を護つたのだから、急にどいてくれと言はれても、どくところはないし、そんな事は、道に外づれてゐると言つた。伊庭も、何時までも田舎暮しも出来ないので、焦々してゐるのだらうと、ゆき子は、早々と荷物を送りつけて来てゐる伊庭一家の気持ちが察しられた。みんな丈夫でゐるらしい事も判つて、かへつてゆき子は拍子抜けのするやうな気持ちだつた。
2010年24日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

『浮雲』20100924



 幸田ゆき子が仏印のダラットに着いたのは、昭和十八年の十月も半ば過ぎであつた。農林省の茂木技師一行に連れられて、四人のタイピストがまづ海防に着いた。――茂木技師は、仏印の林業調査に軍から派遣される事になり、同じ農林省で働いてゐるタイピストを募つて、それぞれの部署に一人づゝのタイピストを置いて来る事になつてゐた。志願者は五人ばかりあつたが、幸田ゆき子も志願して一行に加はつた。――病院船で海防に着き、軍の自動車で河内《ハノイ》へ出て、河内で、三人のタイピストが勤め先きを持つた。幸田ゆき子は高原のダラットへきまり、もう一人の篠井春子はサイゴンに職場を得た。一番貧乏くじを引いたのは幸田ゆき子である。地味で、一向に目立ない人柄が、さうしたところに追ひやつたのかも知れない。額の広い割に、眼が細く、色の白い娘だつたが、愛嬌にとぼしく、何処となく淋しみのある顔立ちが人の眼を惹かなかつた。軍の証明書に張つてある彼女の写真は、年よりは老けて、二十二歳とは見えなかつた。白い襟つきの服が似合ふ以外に、何を着てゐても、何時も同じやうな服装をしてゐる女にしかみえない。サイゴンに行く篠井春子は、五人のなかでも一番美人で、一寸李香蘭に似た面差しがあつたので、幸田ゆき子なぞの存在は、誰にも注意されなかつたのだ。――二台の自動車で、一行は河内を発つたが、タンノア、フウキ、ビンと走つて、最初の夜はビンに泊つた。河内から南部印度支那のビンまでは、自動車で三百五十キロ走つた。ビンのグランド・ホテルに宿を取つた。道々の野山は、野火の跡で黒くくすぶつてゐたり、またあるところでは、むくむくと黄ろい煙をたてゝ燃えてゐる林野もあつた。油桐や松の造林地帯がほとんどで、行けども行けども森林地帯のせゐか、篠井春子は、幾度も深い溜息をついて、わざと心細がつてみせてゐるところもあつた。ゆき子は馴れない長途の旅で、へとへとに疲れてゐた。タンノアといふところを出てから、長く続いてゐる黄昏の道を、自動車はかなりのスピードで走つたが、ビンへ近くなつてからは、昏くなつた四囲に、大きな蛾が飛び立つてゐて、自動車のヘッドライトに明るく照し出された道の方へ、紙片を散らしたやうに、白い蛾が群れだつて寄つて来た。
2010年25日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

『浮雲』20100927

 ホテルの左手には、運河でもあるのか、水に反響する安南人の船頭の声がしてゐた。食用蛙がやかましく啼きたてゝゐる。ビンロウや、ビルマネムの植込みのなかへ自転車を置いて、一行はホテルの部屋へ案内された。運河の見える、こざつぱりした階下の部屋に、篠井春子と幸田ゆき子は通された。
 春子は窓を開けた。運河の水音がしてゐる。橙色の灯のついた卓子には、二人の貧弱なトランクが並んでゐた。桃色の花模様の壁紙や、柔い水色毛布のかゝつてゐるダブルベッドは、如何にも仏蘭西人の趣味らしく、清潔で可愛かつた。戦争下の日本で、長らく貧しい生活にあつた二人にとつて、これはまるでお伽話の世界である。顔を洗つて、食堂で遅い晩食をとつてゐると、腕に憲兵の白い布を巻いた兵隊が、わざわざ女二人の身分証明書を見に来たりした。若い憲兵は、日本の女が珍しくなつかしかつたのだらう。――その夜、ゆき子も春子も、仲々寝つかれなかつた。日本を発つ時は、うそ寒い陽気だつたのに、海防から、河内、タンノアと南下して来るにつれて、急に季節はまた夏の方へ逆もどりしてゐた。柔い、弾力のあるベッドに寝てゐると、仲々寝つかれない。太棹の三味線でも聴いてゐるやうに、食用蛙が、ぽろんぽろんと雨滴のやうに何時までも二人の耳についてゐた。
2010年27日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

『浮雲』作業ひとりごと。

「新字旧かな」の原則でテキスト化に取り組んでいるが、実はワタクシは「旧字→新字」に変換というのはビジネスベースでは一度もやったことがない。(「旧字旧かな」を、原則としてそのままの漢字を用い、無理のない範囲で現代風にテキスト化したことはある。これはそんなに悩みどころはないのだが)。

新字への変換についても、常用漢字表を対照したり、岩波の辞書類の表記をもとに検討するとか、いろいろ方法はあるらしいんだが、どうも完全に現代の簡略化された漢字にしてしまうのは忍びない。

今日、ちょっと困ったのは「橙色の燈」というところ。「橙」はこのままで、としたら「燈」もこのまま?
いや、いまこの字はほとんど「灯」になるでしょ・・・。
上のままだと、語句として読みにくいことこの上ないし。

そう思って、「橙色の灯」に変換しました。

しかし、もうこれまでにテキスト化した部分で「電燈」って使ってしまったような気がする・・・。

そんな不統一感満載の当記事ですが、あまり悩まず次に進んでいこうと思う。
詳しい原理原則に精通されている方、もし何か気づいたらご教示いただきたく。

このテキスト化作業が完成した暁には、全体を見て最終的な統一を取ると思いますけどね。
置換コマンドでばーっと全体を一気に変換してしまう、と。

それにしても、つくづく日本語は難しいなぁ。
2010年28日 林芙美子『浮雲』 こめんと1 とらっくばっく-

『浮雲』20100929

 東京を発つ時の、伊庭の家での事や、友人達との壮行会や、陸軍省でのあわたゞしい注射の日が、夢うつゝに浮んで、ゆき子は、仏印にまで来るなぞとは夢にも考へられなかつた運命が、自分でも不思議でならなかつた。――伊庭杉夫は姉のかたづいたさきの伊庭鏡太郎の弟であつたが、杉夫には妻も子供もあつた。東京へ家を持つてゐる唯一の親類さきで、ゆき子は静岡の女学校を出るとすぐ、伊庭杉夫の家へ寄宿して、神田のタイピスト学校へ行つた。杉夫は保険会社の人事課に勤めてゐて、実直な男だと言ふ評判であつたが、ゆき子が寄宿して、丁度一週間目の或夜、ゆき子は杉夫の為に犯されてしまつた。女中部屋の三畳にゆき子は寝てゐた。何となく眠れない夜で、杉夫が台所に水を飲みに行つてゐる物音をゆき子はうとうと聴いてゐたが、やがて、すつと女中部屋の障子が開いた。ゆき子は、それを夢うつゝに聴いてゐた。その障子はまた静かに閉まつて、みしみしと畳をふむ音がした。重くかぶつてくる男の体重に胸を押されて、ゆき子ははつとして、暗闇に眼を開いた。革臭い匂ひがして、杉夫が何か小さい声で言つたのが、ゆき子には判らなかつた。蒲団の中に、肌の荒い男の脚が差し寄せられて、初めて、ゆき子は声をたてようとした。そのくせ、声をたてるわけにもゆかないものを感じて、ゆき子は身を固くして黙つてゐた。
2010年29日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

『浮雲』20100930

 その夜の事があつて以来、ゆき子は、杉夫の妻の真佐子に、顔むけのならないやうな気がしてゐたけれども、ゆき子は、夜になると、杉夫の来るのが何となく待ちどほしい気がしてならなかつた。杉夫は来るたびに、ハンカチをゆき子の口のなかへ押し込むやうにした。美人で、機知のある妻の真佐子をさしおいて、目立たない自分のやうな女に、どうして杉夫がこんな激しい情愛をみせてくれるのか、ゆき子は不思議だつた。――ゆき子は三年を伊庭のところで暮した。タイピスト学校を出て、農林省へ勤めてゐた。真佐子は杉夫とゆき子の情事は少しも知らない様子だつた。たまに、真佐子が子供づれで横浜の実家へ泊りに行つたりすると、杉夫は早くから寝床へ就いて、ゆき子を呼んだりした。ゆき子は、只、黙つて杉夫の意のまゝにしたがふより仕方がない。将来に就いて語りあふといふでもなく、まるで娼婦をあつかうやうなしぐさで、杉夫は、ゆき子をあつかつた。――ゆき子が、仏印行きの決心を固めたのも、かうした不倫から自分を抜けきりたい気持ちで、事がきまるまでは、伊庭夫婦にも、静岡の母にも、姉弟にも打ちあけなかつたのだ。いよいよ、仏印行きが本当にきまつてから、ゆき子は肉親にも知らせ、伊庭夫婦にも打ちあけた。杉夫は別に顔色も変えなかつた。
 ゆき子は、案外冷たい表情でゐる杉夫を盗見て、心のなかに噴きあげるやうな侮辱を感じてゐたが、自分が伊庭の家を出る事によつて、伊庭の心のなかに、太い釘を差し込むやうな、気味のいゝものも感じた。真佐子に対しても、ゆき子はかへつて憎しみを持つやうになり、時々、真佐子の口から、「このごろ、ゆきさんはすぐふくれるやうになつたのね。早くお嫁さんにやらなくちや駄目だわ」と冗談にも、皮肉にもとれるやうな事を言つたりする。杉夫は、ゆき子がいよいよ二三日うちに仏印出発と聞くと、薬や、ハンドバッグや、下着の類を買ひとゝのへて来た。ゆき子は杉夫にそんな事をして貰ふのが口惜しくてたまらなかつた。真佐子は真佐子で、ゆき子に対して、杉夫のさうした心づかひが不思議で、反発するものを持つてゐる様子だつた。
2010年30日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

『浮雲』20101002




 ゆき子は明け方になつて、杉夫の夢を見た。遠い旅に出たせゐか、妙に人肌恋しくて、奈落に沈んでゆくやうな淋しさになる。ここまで来てゐながら、日本へ帰りたい気がしてならなかつた。ハンカチを口へ押しこむ時の、気忙はしい杉夫の息づかひが、耳について離れない。厭だと思ひ続けてゐた杉夫が、こんなに遠いところへ来て、急に恋しくなるのは変だと、ゆき子は、杉夫との情事ばかりを想ひ出してゐた。きつと、杉夫は淋しがつてゐるに違ひない。只、あのひとは無口だつたから、別に、こみいつた事も言はなかつたけれども、仏印へ発つ日まで、二人の関係が続いてゐた。三年も関係が続いてゐて、どうして子供が生れなかつたのだらう‥‥。そのくせ、三年の間に、真佐子の方には男の子が生れた。
 ゆき子は果てしもなく、いろいろな記憶がもつれて来る事に、やりきれなくなつて、そつと起きた。ヴェランダへ通じる硝子戸を開けると、運河はすぐ眼の前に光つてゐた。ビルマネムの大樹が運河添ひに並木をなして、珍しい小禽の声が騒々しくさへづつてゐた。もやの淡く立ちこめた運河の上に、安南人の小船がいくつももやつてゐる。石造りのヴェランダに凭れて、朝風に吹かれてゐると、何ともいへないいゝ気持ちだつた。地球の上には、かうした夢のやうな国もあるものだと、ゆき子は、小禽のさへづりを聴いたり、運河の水の上を呆んやり眺めてゐたりした。燕も群れをなして飛んでゐる。海防の濁つた海の色を境にして、何も彼も虚空の彼方に消えてゆき、これから、どんな人生が待つてゐるのか、ゆき子には予測出来なかつた。
2010年02日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

『浮雲』20101005

 早い朝食が済んで、また自動車に乗り、南部仏印での古都である、ユエへの街を指して、一行は発つて行つた。木麻黄《もくまわう》の並木道を透かして、運河ぞひの苫屋からも、のんびりと炊煙があがつてゐた。広い植民道路を、黄色に塗つたシトロエンが、シュンシュンとアスファルトの道路に吸ひつくやうな音をたてゝ走つてゐる。
 ビンの街は、人口二万五千あまりで、北部安南でもかなり重要な街だと、一行での男連中の話である。やがて、植民道路は高原のラオスにはいつて行く路と二つに分れた。時々、野火が右手の森林から煙を噴いてゐる。広い森林地帯の中のユエへの植民道路をかなり走つてから、やつと四囲に薄陽が射し始め、晴々と夜が明けて来た。陽が射して来ると、空気がからりと乾いて、空の高い、爽涼な夏景色が展けて来た。
2010年05日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

『浮雲』20101007

 第二泊目はユエで泊つた。こゝでも、一行はグランド・ホテルに旅装をといた。日本の兵隊がかなり駐屯してゐる。ホテルの前に、広いユエ河が流れてゐた。クレマンソウ橋が近い。ゆき子は、こんなところまで、日本軍が進駐して来てゐる事が信じられない気がしてゐた。無理押しに、日本兵が押し寄せて来てゐるやうな気がした。このまゝでは果報でありすぎると思つた。そのくせ、このまゝ長く、この宝庫を占領出来るものなのかどうかも、ゆき子は考へてゐるいとまもないのだ。自動車が走つてゆくまゝに、身をゆだねて、あなた任せにしてゐるより仕方がない、単純な気持ちだけで旅をしてゐた。かうしたところで見る、日本の兵隊は、貧弱であつた。躯に少しもぴつたりしない服を着て、大きい頭に、ちよんと戦闘帽をのつけてゐる姿は、未開の地から来た兵隊のやうである。街をゆく安南人や、ときたま通る仏蘭西人の姿の方が、街を背景にしてはぴつたりしてゐた。華僑の街も文化的である。都心の街路には、樟の木の並木が鮮かで、朝のかあつと照りつける陽射しのなかに、金色の粉を噴いて若芽を萌してゐた。赤煉瓦の王城のあたりでは、若い安南の女学生が、だんだらの靴下をはいて、フットボールをしてゐるのなぞ、ゆき子には珍しい眺めだつた。河のほとりの遊歩道には、花炎木や、カンナの花が咲いてゐた。河は黄濁して水量も多く、なまぐさい河風を朝の街へ吹きつけてゐた。
2010年07日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-

『浮雲』20101009

 旅空にあるせゐか、一行は七人ばかりであつたが、かなり自由に、解放された気持ちになつてゐる様子だつた。鉱山班の瀬谷といふ老人は、河内からずつと女連の自動車の方ばかり乗り込んで、篠井春子のそばへ腰をかける習慣になつてゐた。わざと春子の肩や膝頭に躯をくつゝけて、汗のにちやつくのもかまはずに、図々しくみだらな話をしてゐる。――サイゴンは小巴里だと言われる程、巴里的な街だと聞いて、ゆき子は篠井春子が妬ましかつた。自分もそんな美しい街へポストを持ちたかつた。きまつてしまつたものは仕方がないけれども、さうした命令が、女にとつては、顔かたちの美醜にある事も、ゆき子はよく知つてゐる。ダラットといふ、聞いた事も見た事もない、高原の奥深いところで、平凡な勤めに就く運命が、ゆき子には何となく情けない気持ちだつた。若い女にとつて、平凡といふ事位苦しいものはない。一年はどうしても勤めなければならない事も、心には重荷であつた。
 東京を発つ時、杉夫が、仏印がいゝところだつたら、俺達も呼んでくれないか、せめて内地の戦時世相から解放されたいと冗談を言つてゐたけれども、杉夫も、保険会社なんかやめて、志願してでも仏印へ来てくれるといゝと空想した。
2010年09日 林芙美子『浮雲』 こめんと0 とらっくばっく-
  

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40年の時を超えて…復刊!

ヴィマーニカ・シャーストラ [日本語訳]

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